合気道の意思
今年の春から妻と息子(中学一年生)が合気道に通い始めた。
週に二回、三時間ずつ、殆ど休むことなく通い続けている。
合気道はあたたたたあなどと相手を破壊する武道とは一線を画しており、気の力で相手を制する、受けの武術である。
受けの武術であると言っても決して侮るなかれ。
一度だけ稽古を体験したが、これがウルトラスーパーハードなのだ。
そのときは初心者の私のために、杖の稽古をして下さった。
初めは時代劇のようで、私も、いちっ、にっ、さんっ、と大層浮かれながら素振りを始めた。
先生や(体操服である私以外の)袴姿の皆さんの掛け声は腹から発せられており、道場内にこだまするのが心地よい。
やがて額から汗が流れ出す。
汗は瞬く間に霧散し、やがて、精霊と化し、凛とした空気感を道場内に醸し出していく。
しかしだね、素振りの何が辛いって、終わらないのが辛いのだよ。
ネバーエンディングスプーリーなのである。
もーいや、かんべんして、か弱い風のおじさんをいじめないで、と自己憐憫に浸りながら、結果ニ、三百本振り続けた。
もー、ヘロヘロである。
後で教えていただいたが、素振りであっても、そこには気の世界が展開されており、私の場合は入れるべき力のポイントが大いにズレていたため余計労力を費やしたらしい。
合気道は奥が深いぞよ。
妻も息子もすくすく上達しており、もし私が自宅で油断して酔いつぶれようものなら、関節を簡単にきめられて起こされる我が家なのである。